『新時代の政治思想家によせて』(1) 天川貴之
思想は現実化するという真理は、数多くの史実の中で、既に実証されているのである。まず念いがあり、念いが展開して思想書となり、思想書が現実に顕現して国家となるのである。
例えば、古代ギリシャのプラトンの「国家」という哲人王の政治哲学は、ローマ帝国の時代に、五賢帝として顕現したし、近代イギリスのロックの「統治二論」(市民政府論)という社会契約の政治哲学は、アメリカ合衆国建国という形で顕現したのである。
確かに、国家の建国のためには民意も財力も指導者も必要ではあるが、それらはすべて特定の思想を実現するために協力したのであって、あくまでも、国家の理念は、思想書の中に呈示してあったのであり、このような理念的設計図の下に形創られたものなのである。
故に、我々は、自国を見、他国を見る時に、その奥にある理念をこそ見てゆかなければならない。
国家の理念とは、国家設立の根本となった政治思想のことである。そして、その特定の政治思想を真に理解した時、我々は、本当にその国を知ったといえるのである。
例えば、現代の日本という国のあり方をみても、その中には大きく分けて、古事記等に基づく「天皇制」の政治思想と、西洋の社会契約思想に基づく「民主主義」の政治思想が流れているのであり、この二つの思想の相克が第二次世界大戦となって顕れたとも言えるのであり、敗戦によって、事実上、「民主主義」を中心に据えた象徴天皇制の日本が創られたのである。
本来の古事記等の天皇制の政治思想によれば、日本神道系の神、天照大神の神勅によって、国家の主権が天皇家に与えられ、天照大神の精神を中心に据えた祭政一致の国家理念を持つ国家こそが、本来の日本のあり方なのであるから、国家の主権を国民の総意に置く政教分離の政治思想とは、根本的に矛盾したのである。
(つづく)