『新時代の経済思想家によせて』(1) 天川貴之
無限なる豊かさというものを実現する経済思想こそが、新しき時代には望まれているのである。地上にある豊かさというものが有限であり、ある方が多く取ればある方が少なく取るようになるゼロサム社会は、経済社会の本当の姿ではないのである。
豊かさの源というものをよくよく考えてみれば、人間の心そのものに行き着くのである。まず、心に無限の豊かさの一部が描き出され、しかる後に、地上に実現してゆくのである。
故に、人間の本質が心であり、心の奥の奥には無限の豊かさが内蔵されているのならば、一人一人の人間が、自己内部の無限の豊かさに目覚めれば目覚める程に、全体としての、社会も、国家も、世界も、無限に豊かになってゆくものなのである。
しかし、この無限の豊かさに限定をかけているが故に、そして、豊かさよりも貧しさを心に描いているが故に、地上で未だに貧しさが消えていないのである。貧しさがあるのは、これはすべて、全人類の迷いの信念の影なのであって、貧しさの信念の集積がそこに現実化しているだけなのである。
例えば、アイデアというものだけを考えてみても、現在、我々の生活を便利にし、快適にしているものはすべて、アイデアによって創造されたものなのである。
テレビにしても、冷蔵庫にしても、エアコンにしても、車にしても、飛行機にしても、電話にしても、すべては、もともとは無かったものであり、我々人類のアイデアと共に地上に実現されたものばかりである。
かつて、シュンペーターという経済学者が、経済発展の原動力として、技術革新(イノベーション)というものを挙げられていたが、まさしく、技術革新とはアイデアにほかならない。アイデアの豊富さが経済発展につながり、そして、GNPの拡大にもつながってゆくのである。
このアイデアというものは、我々の心の内に無限に内在されているのであって、まさしく、星の数以上のアイデアが、すべての人の心の内に存在するのである。
故にこそ、絶対なる無より無限のアイデアが生まれ、無限の豊かさ、無限の繁栄、無限の成功、無限の富が生まれてくるのだということに考えが到ると、我々は、有限の豊かさ、有限の富という考え方を改めなければいけないのである。
(つづく)