『新時代の法思想家によせて』(3) 天川貴之
本来の一なる自然法とは、その中に、人間の内に考えられる所の無限の無数なる最高の価値をすべて含み、それらを統一包含しているものである。
それは、例えていえば、最高の愛そのものであると同時に、最高の智慧そのものであり、最高の自由そのものであると同時に、最高の平等そのものであるようなものなのである。
人間の思想において、自然法を具体化したはずの愛と智慧が矛盾したり、自由と平等が矛盾したりするのは、その愛の概念がまだまだ最高の愛からすれば純化されていないからであって、それらは本来、一つのものの違った側面であるのであるから、根本的に、最高の愛は、即、最高の智慧となり、最高の自由は、即、最高の平等となり、すべての最高の価値は、即、神そのものを現すものなのである。
故に、本来の自然法とは、地球の心そのものであり、大宇宙の心そのもののようなものであるから、あの大海のように、すべてを包含しながら、すべてを育み、すべてを幸福に導かんとするものである。
故に、かかる大いなる自然法を理想とした法律を創るために、人間の無限の可能性を求めて、無限の努力をしてゆかなければならいのである。
(つづく)