精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

『新時代の法思想家によせて』(4)   天川貴之

 

 自然法の価値的側面、規範的側面に思いを馳せてゆく時には、カントの主張された法と道徳の峻別ということについても検討しておく必要があると思われる。

 カントは、確かに、すべての人間の内にある普遍の道徳律、普遍の価値を認められたし、「汝の意思の格率が常に同時に普遍的立法として妥当しうるように行動せよ」という言葉にも現されているように、各自の内なる道徳律が普遍の道徳律であり、万人の立法たりうることを認識され、これを基に、人間のあるべき姿、社会のあるべき姿を考えておられたのだと思われるが、この思想を実際の法律に適用するにあたっては、法律が規定するものは現実社会における現象人間であり、現実社会の秩序維持を目的とするものであるから、普遍なる道徳律の関与する範囲ではないとされている。

 しかし、市民社会における人間の尊厳と自由の意義ということをよくよく考えてみると、個人の尊厳と個人の自由の意義が、カントが云うが如く、内なる道徳律に対して自主的に従う所に生じるのならば、市民社会の尊厳と市民社会の自由の意義もまた、普遍の自然法を具体化した法律に対して、自主的に従う所に生まれるはずである。

 そして、普遍なる自然法と一人一人の内なる普遍の道徳律とは、本来一なるものであり、自然法は道徳律でもあるのだから、法と道徳を峻別するという思想は、そのような本来の法の最高の意義を失わせしめる考え方であるといえるのである。

 

(つづく)