精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

「新時代の映画監督によせて」

「新時代の映画監督によせて」(7)   天川貴之

このように、自分自身の人生を偉大なる芸術へと為すことが自分自身の観じ方次第で出来るように、自分を含め、いかなる人々の人生、もしくは、国家や民族の人生をも、我々は我々の観じ方によって偉大なる芸術作品と為すことが出来るのである。 新時代の映画監…

「新時代の映画監督によせて」(6)   天川貴之

我々は、どんなにつまらない人生のように自らの人生が見えたとしても、その一つ一つの中に実は神の生命が輝いていたのだということを発見してゆかなくてはならない。 物質的にも、精神的にも、我々は神の法則の下にあり、神の掌の上に乗せられるようにして、…

「新時代の映画監督によせて」(5)   天川貴之

人間とは、内なる自分と外なる世界を一体のものとして受け入れなければならない存在であり、例えば、外なる壁を押した時に、その反作用を受けるように、また、ピアノの鍵盤を押した時に、様々な音が鳴り響くように、我々は、自ら為したことの結果を、ある時…

「新時代の映画監督によせて」(4)   天川貴之

人生とは、いわば神との対話の連続である。神の応えは、常に運命という形で自分自身に降りかかってくるのである。 かつて老子が、「天網恢恢、疎にして失わず」と云われたことの真意は、まさしく、この神の業の法則について云われていたのである。 どんなに…

「新時代の映画監督によせて」(3)   天川貴之

近代において最大の戯曲家であるシェークスピアもまた、その悲劇を書かれる時に運命に翻弄される人間をテーマにされたが、ソフォクレスやシェークスピアを最高の戯曲作家たらしめているのは、技術的なものではなくて、その奥にある人生と人間、そして、それ…

「新時代の映画監督によせて」(2)   天川貴之

それでは、一人一人の人生はその人自身の芸術であって、少なくとも神の芸術とはいえないではないかとも思えるが、よくよく一人一人の人生を眺めてみると、神の法則の中で、自らの発してきた言葉と思念が、人と時と場所を違えて、自分自身に向かって、限りな…

「新時代の映画監督によせて」(1)   天川貴之

人生というものは、それを観ずる者の内なる理念の掘り下げ方によって無限の輝きを放つ可能性を秘めている。 一見、平凡に見えた人生であっても、真に天才的な理念の眼をもって観じた時に、それは大いなる神の芸術に満ちあふれた一生であったことがわかるので…