精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

『新時代の法思想家によせて』(1)   天川貴之

 

 真なる法とは、本来、自然法のことであり、この自然法の源は、神の法にあるのである。何故なら、普遍なる法とは、人為を超えて、人間によって発見される以前より、そもそも、人間が創造される以前より存在するものだからである。

 特に、近代の後半から現代にかけて、価値相対主義の下に、普遍の価値、普遍の規範というものを否定し、人為による実定法のみを法律と考える思想が流行しているが、これは法律の堕落であり、法思想の堕落を意味しているのである。

 確かに、人間のための法律なのであるから、人間という視点を外した法律は必要ないが、人間を超えた崇高なる法を無視した法律は、本来その正当性や権威を失うものなのである。

 古代のプラトンキケロなどの自然法を基にした実定法批判については言うまでもなく、近代民主主義の源にある自然法思想においても、人為を超えた、人為に基づく法律を規定する一なる理法の存在は、当然の前提とされていたのである。

 ロックは、理性によって自然法は認識され、発見されるとしておられるが、発見される対象そのものは、発見されたものよりも大きいものであろうことは容易に推定がつくが、近現代の思想家が発見され、思想の形で著されたものも、本来の自然法の一部でしかないのであり、本来の自然法の幾分不完全な反映にほかならないのである。

 もちろん、現実社会に実際に制度化された憲法や法律においては、このような思想家達によって発見された所の自然の価値法則が、またさらにより一層薄められた形で顕現しているのにすぎない。

 故に、地上に形をとって現れた所の自然法の一部は尊重するべきではあるが、これを以って自然法そのものを完全に規定して、それを絶対化してはならないものである。

 あくまでも、人為的発見や人為的創造を超えて永遠不変なる理法は歴然として存在しているのであり、我々人間は、常にこの人為を超えた永遠不変なる神の理法に対して心を空しくして、自主的に従ってゆくことを旨としなければならないのである。

 

(つづく)