「新時代の科学者によせて」(4) 天川貴之
私達は、生命を持って主体的に生きているようにも思えるが、もともとの精神も肉体も本性も、すべて神が創られ与えられたものであり、実は、よくよく考えてみれば、生かされているとしかいいようがない存在なのである。
これは、動物も植物も鉱物も、ありとしあらゆるものがそうである。すべてのものは、生きているが、それ以上に生かされている存在なのである。
そして、すべてが生かされているものであるからこそ、全体としての生態系というものは、そのそれぞれがバラバラに個々の意志をもって動いているようにみえても、実に整然とエネルギーが循環し、一つの体系、一つの有機体を創っているといえるのである。
何故なら、全体が一つの神の体であり、そのそれぞれは、その個性ある部分であるからである。だから、大自然は、まるで一なる指揮者によって導かれるオーケストラのように、秩序正しく壮大に四季を輪廻し、全体としても、また、個体としても、同時に生命を全うしてゆくのである。
さらには、三次元大宇宙にしても、例えば、太陽系はすべての惑星がそれぞれ主体的に動きながらも、全体として一つの生命を全うし、そうした太陽系群がまた、それぞれ主体的に動きながらも、銀河系としては一つの生命を全うし、その銀河系群もまた、それぞれ動きながらも、大宇宙が一つの生命を全うしているように、すべてのすべてを貫く一つの大きな意志、一つの大きな理念、一つの大きな法則としての神が、すべてを生かしながら、すべてをその奥で指揮しておられるのである。
このように、三次元現象界も、偉大なる神秘をたたえている世界であり、かかる世界は、科学のみならず、宗教によって再探究される無限の余地があるといえよう。
こうして、科学の進歩によって、科学は心の世界の解明に向かい、宗教もまた、心の世界のみならず、現象世界へと関心を向けるようになってゆくのである。
(つづく)