「新時代の宗教家によせて」(5) 天川貴之
新しい文明の大転換にあって、その口火を切り、新しい文明をその根底において支えるものは、やはり、広い意味での宗教であり、神の力である。
文明の大樹は、神の御力によって養われるものであり、神の御力なくば、かかる人類の大樹は枯れてしまうしかないのである。
故に、本質的なる意味で、宗教を軽視し、これを迫害せんとする風潮には、警鐘を鳴らさなくてはならない。
彼らは、自らの文明の大樹を害虫から守っているかのように錯覚しているが、そのことによって、逆に大樹を枯らさんとしているのである。
新時代を生きる宗教家は、「神」という言葉を語ることに、躊躇してはならない。
人類のもつ言葉の中で、最も崇高なる言葉こそ「神」であり、これが、文化の核心であり、人間存在の核心であり、すなわち、精神の核心であり、さらには、自然の核心であり、世界の、地球の、全宇宙の核心なのだから。
中心にありて最も尊いものを、最も尊いものとして、多くの人々に、切に訴えなくてはならない。
人類の生命の火を守り、来世紀へとつなぎ、さらに、来世紀以降の新文明を構築してゆく主役の一人として、決然として立ち上がらねばならない。
時代の要請に応え、人々の内なる要請に応え、自己の内なる要請に応え、神そのものの根源的なる要請に応えなければならない。
おのずからなる情熱が湧きおこり、おのずからなる愛が湧きおこり、おのずからなる生命の躍動が発露してくるのが自覚出来れば、あなたの内には、確かに現代に生きる神の生命がある。神の生命が、あなたに、本来の神の子として生きるようにと求めているのだ。
神の子に立ち返り、神の子としての生命を生きること、これが、宗教家が「よく生きる」ということであり、宗教家の使命である。
神の子として、神の一部として、神の使命そのものとして、神の光そのものとして、限りなく高く、限りなく大きく、限りなく強く、限りなく熱く、そして、限りなくやさしく生きること。これが、新時代に吹き渡ってゆく神の愛の風であり、新時代の宗教家の精神像である。
(おわり)
by 天川貴之