「新時代の教育者によせて」(5) 天川貴之
この新時代の精神と一体とならんとする念いを、理念の志という。
かかる精神に基づく教育は、理念の志ある教育であり、この理念の志こそが、魂の教育の生命であり、本当は、この理念の志なき教育は、死したる教育といっても過言ではないのである。
理念の志ある教育家が地上に現れ、理念の志ある教育がなされてゆくこと、これが新時代の夜明けを告げる鶏の鳴き声である。これこそ、新しき精神時代の産声である。
かかる魂の教育者による理念の志の教育が行われている時、私達は、たとえ世情がどんなに不安定であり、一見、闇に包まれているようにみえたとしても、未来への確固とした希望を抱いてよいであろう。
逆にいえば、未来への最高の希望を確信するためには、現代において、最高の魂の教育者を発掘し、かかる教育を、最大限に尊重してゆく風潮を創ってゆくことである。
新しき時代精神が創造され、実現され、新文明が開けてゆく前夜には、必然的に天才の卵たちが数多く潜在しているはずなのである。
かかる時期において、我々のなすべきことは、現代における天才の不在を嘆くことではなく、未来に向けての希望の天才を、確実に、最大限に、生長させてゆくことなのである。
(つづく)
by 天川貴之