「新時代の詩人によせて」(1) 天川貴之
詩はどこから生まれてくるのであろうか。かつて、ギリシャの人々は、詩というものは、ミューズという天の聖霊に授けられるものであると謳っているが、おそらくはその通りなのであろう。
ギリシャの時代に居たミューズは現代においてもいるのではあろうが、現代に、神秘的な美しい旋律を響かせる詩人が少ないように思えるのは何故であろうか。
やはり、あまりにも神秘的なるものに対して心を解放する悦びを、現代人は忘れ去って久しいのかもしれない。
古代の人々は、非常に素朴で透明な心を持っていたのだろう。だから、目に見えぬ天の聖霊達の姿を敏感に感じとり、かかる存在を通して、美の世界をかいまみる幸福を最上の悦びとしていたにちがいない。
実際に、古代ギリシャの詩的陶酔ほど文化的に香り高いものは、現代芸術にはあまり感じない。
私達は、あまりにも心を小さくし、複雑にし、狭くしてしまったのかもしれない。
本当は、大自然の中で、大らかに美しい心情を発露させながら生きるということは、ごく簡単ではあるが、最も崇高な生き方なのではないだろうか。
(つづく)
by 天川貴之