「新時代の映画監督によせて」(7) 天川貴之
このように、自分自身の人生を偉大なる芸術へと為すことが自分自身の観じ方次第で出来るように、自分を含め、いかなる人々の人生、もしくは、国家や民族の人生をも、我々は我々の観じ方によって偉大なる芸術作品と為すことが出来るのである。
新時代の映画監督に私が望むものは、単に技術的なものではない。また、特撮による奇抜さのようなものでもない。
人間にとっての永遠のテーマでもある所の神と人間、運命と自由の本質をその中に描ききり、小さな人生から有名な偉人の人生に到るまで、また逆境の人生から順境の人生に到るまで、すべてのすべての中に、神の生命、神の法則、神の栄光を観じとってゆくことなのである。
神の生命の輝きは、本来、すべての中に隠され、それが、同じく人間の内なる理念の生命の輝きによって発見されることを待ち望んでいるのである。
かつてソフォクレスが人々にかいまみせ、シェークスピアが人々に語ったこの永遠の感動を、現代という時代に生きる人々に対して、大いなる芸術の炎として掲げ照らしてゆくことこそ、新時代を神の栄光ある芸術の時代へと為してゆくための映画監督の使命なのである。
(おわり)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)