「新時代の音楽家によせて」(4) 天川貴之
そのためには、自らの悪しき不調和な思いをふり返り、正してゆくという習慣を、常につけなくてはならないことはもちろんであるが、何よりも、偉大なる心情の持ち主に接し、学んでゆくことが大切である。
もちろん、様々な音楽家において、バッハの敬虔さ崇高さ、ハイドンの威厳と落ちつき、ヘンデルの明るさ豊かさ、ベートーベンの剛さ熱情などの、偉大な作曲家の音楽の背後に流れている心情のそれぞれの偉大なる個性を学んでゆくことは必要であるが、それ以外においても、例えば、聖書を通してイエス・キリストの崇高なる愛の感情に触れたり、文学を通してゲーテやシラーの情熱的なヒューマニズムに触れてみたり、哲学を通してカントやヘーゲルの整然とした秩序美に触れたりすることは、一見遠回りなようにみえて、実は、最も早く、自らの音楽の創造力を高めることになるのである。
地上に具現化する以前の理念は、本来一つの調べであり、旋律である。これを聖書では、「初めにコトバありき。」として、コトバというように述べられている。
イエス・キリストの言葉も行動も、その表情の一つ一つでさえ、すべてコトバの顕われであり、神的なる旋律の顕われである。要は、この崇高なる美のコトバに触れて、自らの心情のコトバを高めて、それを本分である音楽に表現してゆけばよいのである。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)