「新時代の音楽家によせて」(6) 天川貴之
心情の調べというものは、目に見えるものに表現されなければなかなか分からないものであるが故に、ともすれば我々はなおざりにしがちであるが、心情の調べ程、その人自身が何者であるかを如実に現し、その人の個性を雄弁に語るものはないのである。
外見というものは、その心情を微かに表す影のような存在であって、心情の調べをよくよく聴き分けてみると、その差は、偉人と凡人の間には、天と地程の隔たりがあるものなのである。
例えば、モーツァルトの音楽を聴いても、彼の音楽を彼の心情そのものとして聴けば、それらが我々が日常生活の中で心の中に奏でている心情と比べて、どんなに異なっていることであろうか。
彼の心情の中には全くの濁りがない。常にガラス張りの海のようであり、さながら聖者の涅槃を思わせるような安定した調和がそこにみられる。
しかも、ただ単に透明感があるだけではなくて、その音律の、何と美しく、雄大で、格調高いことであろうか。それは、まさしく天上の調べであり、微笑しながら天空を飛翔する天使の歌声そのものである。
仏教やキリスト教などの修行者が、心の修行を永遠のテーマとして一生をかけておられるが、モーツァルトの音楽を、一つの心境、悟境として観た時に、これだけの天使的な、また菩薩的な心の調べを奏でている修行者は、おそらく万人に一人もおられないにちがいない。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)