「新時代の画家によせて」(3) 天川貴之
もしも人間の内に精神的認識力というものがなければ、この地上にあるすべての意味とすべての価値は失われてしまうことになるであろう。そうすれば、人類のすべての文化、すべての人間性は無と化するに違いない。
しかし、すべての人が、一人の例外もなく、悠久の過去から現在に到るまで、あらゆるものに意味を見い出し、価値を見い出してきたのである。
あるものを美しいというのも、愛しいというのも、崇高であるというのも、善いというのも、これらはすべて精神的認識に基づいて価値判断を為した結果なのである。
そして、先程の富士の絵の場合をとってみると、北斎や、ゴッホや、ピカソなどが描く富士に個性の差が如実に現れるということは、彼らが三次元的に認識したものに加えて、それをさらに、精神的に解釈した映像に違いが出ているということなのである。
すなわち、絵画の違いというものは、まさしく画家の精神性の違いそのものなのであり、大自然の内に秘められている所の無限の精神性をどこまで観じえたかという点において、そこには無限の差が出てくるということなのである。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)