「新時代の批評家によせて」(1) 天川貴之
物事には、何でも良い面と悪い面がある。批評家とは、通常、良い面をあまり見ずに、悪い面ばかりを強調して酷評する傾向があるが、これは心の法則からいうと、自分自身のためにも、その対象となった方のためにも、また社会全体にとっても益にならず、むしろ、有害になっていることが多いのである。
何故ならば、言葉にはその内容を実現する力があり、暗い面を強調してみてゆけばゆく程に、暗い面が、より一層、現実化してゆくからである。この意味において、批評とは、まさに両刃の剣である。
そもそも、古来より言葉には言霊が宿るといわれているが、言葉程、人間存在にとって本質的なものは他にないのである。
新約聖書の福音書にも、「初めに言(ことば)ありき。言は神とともにあり、言は神なりき。」と銘記されているように、言葉の根源には神の力が働いているのであり、神の存在形態の究極のものは、言葉なのである。
また、旧約聖書の冒頭には「神、光あれと言い給いければ光ありき」と記されているが、神は、言葉であられると同時に、言葉にて天地創造をなされたのである。
万物の源が一体何であるかということが、かつてギリシャ哲学の根本命題にされたことがあったが、旧約聖書は、その問いに対して、はっきりと、それは「言葉」であると答えられているのである。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)