「新時代の批評家によせて」(3) 天川貴之
その反対に、いつも他人の良き所を発見する習慣のある人は、自ずから他人の良い所を自分も身につけ、それに近づかんとしているのであるから、まず何よりも、自分自身がどんどん良くなってゆくし、また、良い所をみつけられた他人も良くなってゆくし、その言葉を聞いた社会全体も良くなってゆくのである。
このように、言葉の実現力というものに着眼した場合、何よりも、社会を良くしてゆく原動力となるものは、良き所を発見し、言葉にしてゆく、いわば光明批評家の存在であり、社会全体を何よりも悪化せしめているのは、悪しき所を発見し、言葉にしてゆく、いわば暗黒批評家の存在なのである。
しかしながら、特に、日本のマスコミの環境を観察してみると、ほとんどが欠点探しをするタイプの記事であることに気づく。
確かに社会正義実現のために社会悪を糺すことは批評家やマスコミの使命であり、大切なことであるが、あまりにも過剰な私的悪口に堕しているものが多いのである。
これは何も、独りマスコミだけが悪いのではなく、資本主義社会においては需要がある所に供給があるのが原則であるから、欠点探しを楽しみに思う国民全体の風潮そのものが悪いのであるともいえるであろう。
しかし、さらに、その背景にある事実は、まさしく言葉の法則というものに対する無知があるといえるのである。
一見、他人の欠点を発見して言葉にすることは自分自身の自尊心を満足させ、好奇心を満足させ、ほのかな快感をも感じさせるものがあるようにも思えるが、その実、多量の毒素を自分自身があおっていることに気がつかなくてはならないのである。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)