「新時代の批評家によせて」(5) 天川貴之
これより、新時代が求める批評家像、マスコミ像というものは、言葉の力によって良きものを創造してゆくものである。
言葉が本来、無から有を創造する力を持ったものであるならば、この言葉の力によって、次から次へとより真なるものを創造し、より善なるものを創造し、より美なるものを創造してゆかなければならないのである。
そもそも我々に何故言論の自由があるのかという問いは、根源的には、神が何故我々に自由を与えられたのかという問いと同じ意味を持つ。
もしも、我々に自由がなく、言葉による創造力を与えられなかったとしたならば、必然的に、神の望まれる通り、我々人間は、真・善・美しかなすことが出来なかったであろう。
しかし、神は、人間に、あえて、真・善・美へと向かう本来的な性向、すなわち内なる理念、良心とともに、尊い自由を与えられたのである。
本来、自由に善を創造することも出来れば、悪を創造することも出来る中において、あえて、自主的に善へと向かい、善を主体的に創造する悦びを得てほしいと願われたのである。
ならば、この自由の最たる言葉の自由においても、我々は、自由に安住するのみならず、主体的に善へと向かい、善をこそ創造してゆかなければならない。
そこに、人間としての最高の尊厳が生まれ、批評家、マスコミとしての最高の尊厳が生まれ、価値が生まれてゆくのである。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)