精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

「新時代のスポーツマンによせて」(3)  天川貴之

 

 第三に、情熱である。情熱とは、そのスポーツを真に好きになる所から生じてくるのである。

 そして、また、勝利の目標を設定し、それに対して燃えるが如き願望を持った時に、ふつふつとふつふつと湧き昇ってくるのである。

 かかる熱き血潮がなくて、真に勝利者となることは出来ないのである。より一層の情熱を燃やせば燃やす程、それは炎の如きオーラとなってその選手を包み、大いなる奇跡の力を生じせしめる源となるのである。

 第四には、無我の心である。これは、無念無想の境地を始まりとするものである。あらゆる自己の妄念をぬぐい去った時に、明鏡の如き、澄みわたった心が生じてくるのである。かかる時に初めて真に相手の動きを読み、自己の動きを的確に読むことが出来るのである。

 そして、真に無我となった時に、神技の如き天衣無縫の技が生じてゆくのである。どの動きにも無駄がなく、的確でいながら、平凡な発想では出来ないような神技を発揮するのは、かかる瞬間なのである。

 「我が業は我が為すにあらず、神来たりて為し給うなり。」との境地こそ、スポーツマンとしての最高の境地であり、かかる境地に到って、最高の至福を味わうことが出来るのである。

 

 (つづく)

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 

「新時代のスポーツマンによせて」(2)  天川貴之

 

 これより超一流のスポーツ選手に必要な精神態度について述べてゆきたい。

 まず第一に、大和魂というが如き気概である。これがなければ、スポーツにおいて、つらい修行に耐え、勝利の栄冠を獲得することはできないのである。

 大いなる精神力の強靱さは、磨けば磨く程に強くなってゆくものである。そして、数年、十年、二十年、三十年と一貫して修行してゆく過程で、たとえ肉体が衰退したとしても、精神力は無限に向上してゆくものである。

 この精神力は、地上を去っても実力となるものであり、栄光となるものであるので、一生を通して磨いていっていただきたいと思う。

 第二に、平常心をもつことである。闘魂を持ちながらも、淡々として歩むことが大切である。平凡な一日一日の積み重ねが大切である。

 そして、どのようなことがあろうとも、心が揺れない不動心を培ってゆかなければならない。勝負の世界においては、心を大きく揺らした方が負けるのである。

 例えば、かの厳流島での宮本武蔵佐々木小次郎の対決においても、佐々木小次郎の心の乱れが主な敗因であるといえるのである。

 故に、常日頃から心を整え、平静な心を保つことを訓練しておかなくてはならない。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 

「新時代のスポーツマンによせて」(1)  天川貴之

 

 スポーツの中にも理念があり、哲学はあるのである。

 スポーツにおける「真」の理念とは、勝利の法則を探究することであり、その中には精神的要素も大きいといえるのである。

 また、「善」の理念とは、スポーツマンとしてのモラルであり、礼節であり、倫理である。

 そして、「美」の理念とは、スポーツをする過程で生ずる技の完成美である。

 そして、比類なき業績を残したスポーツマンは、例外なしに、自らの信条、自らの哲学を持っているものなのである。

 何故なら、人間は、あくまでも精神的存在であり、かかる精神的支柱なしには、勝負という厳しい競争の世界を勝ち抜いてゆくことは出来ないからである。

 各分野で超一流の選手というものは、例外なく強靱な精神力の持ち主なのである。何故なら、練習の継続とは、まさしく修行そのものであり、相当の克己心なしには、継続することは出来ないからである。

 まさに、プロのスポーツマンの自己管理の厳しさは、宗教界の禅の修行僧以上のものもあると言えよう。

 何故それ程までに厳しい自己鍛練の道を歩むことが出来るのかといえば、やはり、そこに相当の精神的信条があり、信念があるからであると言えるのである。

(つづく)

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)