「新時代のスポーツマンによせて」(3) 天川貴之
第三に、情熱である。情熱とは、そのスポーツを真に好きになる所から生じてくるのである。
そして、また、勝利の目標を設定し、それに対して燃えるが如き願望を持った時に、ふつふつとふつふつと湧き昇ってくるのである。
かかる熱き血潮がなくて、真に勝利者となることは出来ないのである。より一層の情熱を燃やせば燃やす程、それは炎の如きオーラとなってその選手を包み、大いなる奇跡の力を生じせしめる源となるのである。
第四には、無我の心である。これは、無念無想の境地を始まりとするものである。あらゆる自己の妄念をぬぐい去った時に、明鏡の如き、澄みわたった心が生じてくるのである。かかる時に初めて真に相手の動きを読み、自己の動きを的確に読むことが出来るのである。
そして、真に無我となった時に、神技の如き天衣無縫の技が生じてゆくのである。どの動きにも無駄がなく、的確でいながら、平凡な発想では出来ないような神技を発揮するのは、かかる瞬間なのである。
「我が業は我が為すにあらず、神来たりて為し給うなり。」との境地こそ、スポーツマンとしての最高の境地であり、かかる境地に到って、最高の至福を味わうことが出来るのである。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)