精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

2019-01-01から1年間の記事一覧

「新時代の起業家によせて」(1)

資本主義も大いなる試練の時を迎えているが、このような時に最も望まれているのが、新しき時代を切り拓かんとする起業家である。 かつてアメリカンドリームを創出したのも、数人、数十人の優れた起業家なのであり、優れた起業家に押し上げられるようにして、…

「新時代のビジネスマンによせて」(7)

最後に、第三には、一日の仕事を終えた後に、今日一日の仕事が純粋な愛を動機とする純粋な愛の実践であったかどうかを、一つ一つ反省していただきたいのである。 それを積み重ねてゆくだけで、内なる理念が最高に活性化し、人格の光となって顕れるようになる…

「新時代のビジネスマンによせて」(6)

そして、第二には、ビジネスの場において、常に人々が必要としている愛、人々が欲している愛を考えつづけ、それを自己の仕事を通して与えてゆくことに専念してゆくことである。 深い、広い愛を動機として、人々のニーズを思い巡らしていれば、自然に、人々が…

「新時代のビジネスマンによせて」(5)

では次に、具体的に愛故の成功を築くための日々の秘訣を述べておきたい。 まず第一に、一日の仕事を始める前に、与えられている愛を発見してゆく習慣をつけてゆくことである。 よくよく内省してみると、通常では当然だと思って意識しないけれども、既に数多…

「新時代のビジネスマンによせて」(4)

愛を最も与えた者が最も愛を与えられ、最も成功を与えられるというのが、ビジネスのみならず、すべての世界を貫く徹則である。 しかし、ビジネスマンの多くの方は、与えられんとして与えられず、それによって、本来無用な苦しみをつくっておられるのである。…

「新時代のビジネスマンによせて」(3)

内なる愛、内なる理念を動機とした成功とは、永遠の幸福を与えるものであるし、その成功も、理念の顕れとして永続するものとなるであろうが、金銭欲や、名誉欲や、地位欲など、地上的なる欲を動機とした成功とは、欲しい欲しいという一念によって自分を縛り…

「新時代のビジネスマンによせて」(2)

この成功の法則は、普遍である。いつの時代にも、いつの地域にも通用する原理原則であるといえる。 この善とは、内なる理念の要請に合致して生きる所に生まれるものであり、これは、カントが「実践理性批判」の中で、内なる道徳法則の定言的命令に合致する所…

「新時代のビジネスマンによせて」(1)

現代を生きるビジネスマンの多くは、成功を求め望んでおられるであろうが、新時代を生きんとするビジネスマンは、その中より、何が本物の成功であるかを選び出してゆかなくてはならないのである。 世にある数多くの成功理論や、成功者達の理想とする成功にも…

「新時代のモラリストによせて」(5)

この良心を探究してゆく道は、内奥において理念に到達し、その究極において、すべての理念を統一する神に到達する道である。 かかる神と合一することがモラルの極致であるといえるが、これは、かつてプロティノスが、神秘的直感によってすべての理念を統一す…

「新時代のモラリストによせて」(4)

では、自己のモラルの格率というものはいかに築いてゆけばよいのであろうか。 まずは、良心という自己の理性の道徳的側面に常に忠実であろうとすることである。良心とは、万人に親しい声であり、万人が本来有している声である。 良心なき人間というもの、善…

「新時代のモラリストによせて」(3)

現代という時代の端境期には、そして、最高の文化的興隆期には、必ずや、優れたモラリスト達が出現してくるはずであるし、また、その出現を待ち望む風潮を創ってゆかなくてはならない。 かつての古代中国において、孔子や、老子や、墨子等を輩出したように、…

「新時代のモラリストによせて」(2)

そもそも、諸学の学である哲学には、真、善、美という三つの探究分野があるのであり、真とは、主に「法則・実在とは何か」の探究であり、善とは、主に「いかに生きるべきか」の探究であるといえよう。 すべての学問は、根底にこれらの哲学的課題を有している…

「新時代のモラリストによせて」(1)

理念には、真、善、美など多様なる側面があるといえるが、その中の善を探究し、実践してゆくことこそ、モラリストの使命である。 しかも、これは、モラリストという特定の人々の課題ではなく、善なる本性を持つ人間としての、万人の課題であるといえよう。 …

「新時代の科学者によせて」(7)   天川貴之

科学が心の世界を真に解明し、精神世界を真に解明せんとする時、人類は、新しき時代、新しき文明を迎える。 人類は、理性的に真に無限なる世界に目覚め、自己の無限の可能性に目覚めることが出来るのである。 宗教が科学となり、科学が宗教となる時、人類は…

「新時代の科学者によせて」(6)   天川貴之

このように観てゆくと、我々が、従来、単に精神的なものとして、物質的なものと区別してきたようなものも、実際に客観的実在であり、普遍の法則のもとに、確固として存在していることがわかってくるはずである。 実際に、愛そのものは実在し、それは愛に関す…

「新時代の科学者によせて」(5)   天川貴之

では、心の世界を科学してゆくということは、具体的には、どういうことになるのであろうか。それは、心の法則の探究であり、従来、宗教で主に説かれてきた教えそのものの探究にもつながる。 例えば、聖書の山上の垂訓の一節に、「心清き者は幸いなるかな。汝…

「新時代の科学者によせて」(4)   天川貴之

私達は、生命を持って主体的に生きているようにも思えるが、もともとの精神も肉体も本性も、すべて神が創られ与えられたものであり、実は、よくよく考えてみれば、生かされているとしかいいようがない存在なのである。 これは、動物も植物も鉱物も、ありとし…

「新時代の科学者によせて」(3)   天川貴之

特に、今までは、科学の対象は三次元の現象界であって、宗教の対象は心の世界であるとして役割分担していたが、現代においては、心の世界もまた、心理学、精神科学などの発達に従って法則性があることが実証されてきている今、科学の対象もまた、心の世界の…

「新時代の科学者によせて」(2)   天川貴之

私達は、時として、孤独感にさいなまれ、自分が個として生きていることを嘆くこともあるが、実は、いついかなる時も、一つの個でありながら、無数の法則に支えられて存在していることが自覚出来れば、これもまた、目に見えぬ、常なる大愛であるということが…

「新時代の科学者によせて」(1)   天川貴之

科学とは、未知なる世界、神秘の世界の「法則」を知ることにその本質がある。 科学は、私達に、世界が、人間が、そして大自然が、すべて、偶然に生じたものではなく、整然とした因果の法則のもとに、合理的に合目的に創られていることを教えてくれる。 しか…

「新時代の心理学者によせて」(5)   天川貴之

かの明治維新にしても、日本の集合的無意識が動き出したからこそ、地上の人々が、同時に、数多く、あたかも突き動かされるような形で、国家を動かしていったのである。 吉田松陰や坂本龍馬などは、誰よりも日本の集合的無意識の動きを敏感に感じとられて、自…

「新時代の心理学者によせて」(4)   天川貴之

さらには、ユングは、人類の共通な「集合的無意識」が存在することを述べておられるが、これを日本にあてはめて考えると、「日本の無意識」ということになるし、地球であてはめて考えてみると、「地球の無意識」ということになるし、宇宙であてはめて考えて…

「新時代の心理学者によせて」(3)   天川貴之

さらに、心の神秘について、新しき心理学への提言を述べておくと、現代の心理学では幼児体験のみを重視する傾向があるが、仏教でいう所のカルマの思想の如く、本来、人間を無意識に突き動かしているものは、過去世の経験であったり、さらには、霊界の経験で…

「新時代の心理学者によせて」(2)   天川貴之

しかしながら、「理念の革命」を標傍する立場からいえば、高次なる無意識に到達することをこそ目標にしなければならないし、かかる高次なる「理念」を中心とする「理念心理学」をこそ、新時代の心理学の中心に据えてゆかなくてはならない。 従って、心の内奥…

「新時代の心理学者によせて」(1)   天川貴之

心の世界とは広大無辺である。それはあの三次元大宇宙よりも広大なる世界が一人の人間の心の奥に潜在しているといえるのである。 近現代において注目されている所の「無意識」の領域には、宗教でいう所の霊界や実在界も含まれているのである。 例えば、高尚…

『新時代の医学者によせて』(7)   天川貴之

新しき時代のための医学とは、大自然の神の中に生かされている人間ということを、深く高く認識して、大自然を貫く神の心、人間を貫く神の心、無限なる健康を宿せる心を、探究する所から始まってゆくのである。 大自然には、本来病はなかったのである。神は病…

『新時代の医学者によせて』(6)   天川貴之

例えば、一匹の猫をとってみても、彼は自ら主体的に生きているように思っていながら、実際は彼自身の智恵によって創り出したものは、何もないことに気づいているのであろうか。 その手の機能や、足の機能、精密な目や、脳の機能、そして本能のすべては、大自…

『新時代の医学者によせて』(5)   天川貴之

現代の医学は、物質的な医薬療法が中心であり、それも大切ではあるが、こうした物質で治すことができないとされている不治の病でさえ、本来すべて治すことができるのである。 それは、外から与えるものの力によって治すのではなく、患者本人に備わっている所…

『新時代の医学者によせて』(4)   天川貴之

第五に、怒りの念い、裁きの念い、恨みや憎しみの念いである。 こうした念いを抱きつづけていると、他者を害しているだけではなく、それ以上に、自分自身の心と体を害していることになるのである。 こうした念いを抱きつづけていると、医学的な臨床実験の結…

『新時代の医学者によせて』(3)   天川貴之

第三に、悲しみの念い、暗い念い、憂いの念いである。 植物でも、暗くじめじめした所では充分に育たず、枯れてゆくことが多いように、人間の心も、暗くうちひしがれた状態を保ち続けると、健康を妨げ、病気を悪化させることになりやすいのである。 従って、…