精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

序、『現代を生きる精神によせて』(1)  天川貴之

 

 時代は移り変わりゆくが、その表情を様々に変化させながら流転してゆく。非常に怠惰にみえる時代もあれば、忙しく緊張感の漲っている時代もある。

 

  現代という我々が生きる時代は、大抵の人に、立ち止まることも、深く考えることも許さないかのように、忙しく流れてゆくように見える。

 

 この時代の潮流の中を泳ぎきるには、あまりにも人々の知性の腕力が磨ききれておらず、大抵の人がその波に呑みこまれ、翻弄され、自らのたどりつく所も分からないままに押し流されて、日々を送っているのではないだろうか。

 

  時代の潮流が、どこから流れてきて、どこに流れてゆかんとしているのか。この時代の潮は、これから方向転換してゆくのか、それともこのまま押し進んでゆくのか。その中をただひたすらに受け身の形で流されてゆくだけの人間には、そのことが分からない。いや、むしろ分からない方がよいと思っている人が多いのかもしれない。

 

  深い根拠もない楽観論を胸にして、不安げな未来の希望に向かって歩んでゆくしかないと自分自身に言いきかせている。どこかに罪悪感と、かすかな絶望感、虚しさを感じとりながら、それを根本的に否定する術もなく、「あまり深く考えるのはよそう。明日は明日の風が吹く。」という言葉を合言葉にしながら、一日を重ねてゆく。

 

  しかし、そのまま歩んでゆけば壁にぶつかるから、角を曲がらなければならないという時期もあれば、そのまま歩んでゆけば崖淵にかかるから、立ち止まり、引き返さなければならないという時期もあるのだ。

 

  時代潮流というものは、他の誰でもない、実は、自分達が協力して創り出しているものなのであり、本当は、実に主体的なものなのだ。変えようと思えば変わってゆくし、変えようと思わなければ、慣性の法則のままに突き進んでゆくものであるのだ。

 

  故に、何が起こってゆこうとも、それは、時代それ自身の責任でも何でもない。時代を創造してゆく者達の責任であるのだ。時代を創造してゆくこと、それが自由意志を与えられている人類の特権なのである。

 

(つづく)