精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

序、『現代を生きる精神によせて』(2)  天川貴之

 

 そして、時代を新らたにするためには、まず、現代を現代としてあらしめている過去の時代思潮を見抜かなくてはならない。

 

 そのためには、現在あるものを当然のこととして受け入れてしまわない精神態度が大切である。勇気をもって、誰も赤ん坊の頃より強い関心を持ちながら、大人になって言うことのなくなった「何故」という問いを、力強く打ち出さなくてはならない。

 

 現在あるものは決して当然の如くはないし、そのほとんどが太初よりあるものではないのだ。いつかの時代の誰かが思いつき、そして創造したものであるのだ。

 

 民主主義にしても、自由にしても、平等にしても、繁栄にしても、私達が現在、当然のこととして受け入れているものはすべて、過去の人類の歴史の過程で、ある人が思いつき、あえて創造していったものであるのだ。

 

 すべてのすべてである所の神の理法、絶対なる無の中から、その幾たりかを感じとり、必要だと思ったものを、多くの人々が共感して、一つの思潮、一つの時代を創り出していったのである。

 

  現在、私達が普通にしていることや、そして、しなければならないと思っていること、私達が生きている時代的地面、私達の登っている一時代の山、川、湖、森などはすべて、その中に理念を持っている。私達は、確かに生きているが、同時に、幾つもの理念の中に生かされている存在であるのだ。

 

 私達の寄って立つ所の理念、これが果して不動のものであり、普遍のものであるのか。また、それは、いつの時代にも通用し、変転してゆかないものなのか、その保証はない。

 

 確固としたものとしてみれば、鋼の如くもみえるが、不安定なものとしてみようとすれば、熱く溶けてゆく鉄のようにもみえるのが、我々の時代そのものなのである。

 

  そして、今、あなたの心の奥の奥を穿ってみて、何か自然に湧き起こり、外なる世界に出んとして、無限の泉の如く湧き上がってくる理想、抑えようとしても抑えることが出来ない無限のエネルギーを持った希望が確信出来るのならば、そこに新時代の鍵がある。

 

 あなたが心奥深く感じとっているもの、あなたが心奥深く心動かされるもの、この新時代の理念の宝石を、どうか磨き出してほしい。この理念の宝石を、埋もれたままに、磨き出さぬままに、どうかなさらないでほしい。

 

 その理念の宝石は、本当は独りあなただけのものではないのだ。本当は、その宝石を欲している人が、同時代に、また、後世に数多くいるのである。

 

(つづく)