精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

『新時代の政治思想家によせて』(2)  天川貴之

 

 では、このように、政治思想が相克した場合、何を選択するべきなのであろうか。

 ここで、最も銘記しなければならないことは、各々の政治思想は、偶然に生じたものではなく、その源には、永遠の自然法、永遠の理法というものがあり、すなわち、そうした天意、神の計画を映し出すような形で政治思想が地上に顕れるのだという観点である。

 かの古事記の政治思想であっても、あながち時代遅れの思想ではなく、神の理法、神の意志というものに対して限りなく人間心を空しくして生きてきたのが人類の大半の歴史であり、人間の本来の姿であると考えれば、国家の政治にあっても、中心に天意を据えるのは最善であるし、イスラエルの聖書の世界においても、政治の中心に天意を据えることは当然とされ、何度も何度も人間が傲慢になり、天意をないがしろにして滅びに到るという歴史がくり返されたのである。

 また、民主主義の発祥の地であるギリシャにおいても、プラトンは、永遠の理法や天意を限りなく尊重する国家を創るために、このような理念を看破しうる哲人をこそ、政治の中心に据えることを政治理論の中核にされたのである。

 故にこそ、政治思想の選択にあたっては、まず何よりも天意をこそ最高に尊重し、忖度しなければならない。もしも、天意に反するような形の政治思想が世に出されたとしても、それが一時的には影響力を持ち、実現したようにみえても、長い眼でみれば、必ず反作用を受け、滅びてゆくものなのである。

 もちろん、プラトンの「国家」にしても、古事記天皇制にしても、ロックの「統治二論」(市民政府論)にしても、すべて永遠の理法の一部を反映したものであり、その都度、天意を受けて地上に現われたものであろうが、現代における新しき天意というものがあり、これがいかなるものであるかということも、我々は、心を空しくして看破しなければならないのである。

 

(つづく)