精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

『新時代の政治思想家によせて』(4)  天川貴之

 

 一方、歴史というものをよくよく振り返ってみると、神の理法、神の意志というものは、一部の預言者を通して、より直接的に啓示として降ろされたものが多い。

 例えば、聖書の世界であっても、本来、神の言葉こそが真なる法であり、絶対的規範であるとされたのであり、これは現代に到るまで、何千年もの間、世界中で連綿として敬意と尊敬を払われてきたものである。

 それは何故かというと、人間は、確かにその内に理性を有する存在ではあるけれども、内蔵されている無限の光は、そのまま、顕現する無限の光を意味しないからである。

 あくまでも、内なる神性顕現の階梯には差があり、かの釈尊イエス・キリスト程に、神の理法そのものを直接把握出来た方は本当に一握りの数しか歴史にもなく、まさしく、神より選ばれたる者のみだからである。

 ある意味で、プラトンの哲人王も、大哲人であるソクラテスなどを理念としたものであり、最高善たる理念を認識出来る哲人というのは、本当は、ある意味で、預言者という神に選ばれた人にあたるのである。

 確かに、デカルトの云われたように、理性は万人の内に等しく存在するし、カントのいわれたように、普遍的なる理法も万人の内に等しく存在するし、それは釈尊の、すべての衆生の内には仏性が宿されているという教えと同じ趣旨である。

 それ故に、万人が人格の尊厳を持つものとして敬われ、尊重されなければならないのであるが、内なる理性、内なる神性、内なる仏性の顕現度合に差がある以上、最高度に理性、神性、仏性を顕現させることによって、神の理法、神の意志を直接的に認識しえた者は、神の意志故に最高に尊重されなければならないのである。

 

(つづく)