「新時代の映画監督によせて」(2) 天川貴之
それでは、一人一人の人生はその人自身の芸術であって、少なくとも神の芸術とはいえないではないかとも思えるが、よくよく一人一人の人生を眺めてみると、神の法則の中で、自らの発してきた言葉と思念が、人と時と場所を違えて、自分自身に向かって、限りなく芸術的に返ってくることに気づく。
これは仏教では「業」の思想として説かれてきたものではあるが、この「業」の法則こそが、すべての人生を芸術的に観ずる時に最も大切な観点なのである。
かつて、ギリシャのソフォクレスという悲劇作家も、有名な「オイディプス王」の中で、「運命と人為」ということをテーマに戯曲を書かれていたが、まさしく、我々の人生は、すべて神の法則の下に生かされているという点において、限りなく戯曲のような人生に見えないこともない。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)
「新時代の映画監督によせて」(1) 天川貴之
人生というものは、それを観ずる者の内なる理念の掘り下げ方によって無限の輝きを放つ可能性を秘めている。
一見、平凡に見えた人生であっても、真に天才的な理念の眼をもって観じた時に、それは大いなる神の芸術に満ちあふれた一生であったことがわかるのである。
一人ひとりが何げなく使っている言葉、何げなく使っている思念は、すべて、一つ一つが妙なる力をもって人生そのものを創造している。
まさしく、その人の人生が一体どういうものであったかを知ろうと思えば、その方が過去発してこられた言葉と思念をふり返ってみれば、それがその人自身であって、その人自身の人生そのものであったことがわかるのである。
このように、我々は、自己の人生というものを、あたかも彫刻のように自らの一つ一つの言葉と思念の鑿でもって削ってゆくのである。
確かに、生まれた環境もあり、育った時代もあり、多くの友人達、知人達の影響もあったであろうが、少なくとも、そうしたものに対して一定の言葉と思念を抱き続けたことの責任は、何よりも自分自身の内にこそあったのである。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)
「新時代の詩人によせて」(5) 天川貴之
だから、私は、あえて心貧しきあわれなる現代の人々のために、真なる詩人達が数多く出現することを望むのである。
複雑な現代社会においても、その心に屈託なく、素朴で、清らかで、美しい感情に満たされている詩人の出現を待ち望むのである。
かかる詩人は、現代においても、多くの美の天使達を観るであろう。そして、私達に、この世のものとは思えぬほどの美しい詩をもって、私達の魂を覚醒してくださるにちがいない。
おお、美しいミューズ達よ、この天上の神々の火花をもって、この地上を本来の美しき光で照らしておくれ。あなたのそのやさしい眼差しを、一度でもいいから、それを忘れ去って久しい現代の人々にかいま見させてあげてほしい。
本当の美しさを思い出せない数多くの迷い子達のために、そのやわらかなる笛の音色でもって、本当の心の故郷へと導いてほしい。
生まれるとともに忘れ、時折心かすめ、涙を誘いながらすぐさま消えてしまう、あの永遠の美の世界へと、多くの現代人の心を回帰させてほしい。
おお、美のミューズ達よ、あなた方は、現代という時代に美しく咲く神々の華である。
(おわり)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)