「新時代の政治家によせて」(4) 天川貴之
かつてホッブズは、悪しき人間像に基づき、「リヴァイアサン」としての国家を描いたが、人間は悪しき迷いの姿を仮に現すことがあったとしても、新生し、その本性を顕した時に、善なるものとなり、聖なるものとなり、尊きものとなるので、かかる国民の団結せる国家の精神もまた、限りなく善なるものとなり、限りなく聖なるものとなり、限りなく尊きものとなるのである。
かかる光ある生命体のことを、もはや「リヴァイアサン」とはいわない。善に目覚め、聖なる愛と情熱に目覚めた国家の精神は、むしろ、「メシア」と呼ばれるにふさわしい。
そして、かかる聖なる国家精神は、独り自国を素晴らしく、あらゆる面で光に満ちた国とするばかりではなく、自ずから他国にも良き感化を与え、他国の政治家の精神、他国の国家精神、他国の国民精神まで押し上げてゆく力となってゆくのである。
真に良き友を持てば、自らも良くなってゆくように、かかる理想国家を持てば、他の国も、世界中がよくなってゆくしかないのである。
全世界は、かかる国家精神をこそ待ち望んでいる。かかる世界精神の誕生をこそ期待している。
いや、それは同時代だけのことではない。後世への最大の福音でもあり、前なる時代への最大の報恩でもあり、それは、永い時を経て人類が追い求めてきた理想そのものであるのだ。
かかる大いなる人類の理想をうけて、自らの理想の火種に灯をともし、光を掲げることこそ、現代に生き、そして、新時代に駆けてゆかんとする政治家の天命である。
(おわり)
by 天川貴之