『新時代の法思想家によせて』(2) 天川貴之
自然法を否定する方々の価値相対主義の考え方にしても、価値が多様な形で顕れ、それがお互いに対立し合い、矛盾し合っているように見えるのは、あくまでも人間の認識力の側にこそ限界があるからであって、それは一なる自然法の側に限界があるのではない。
群盲象評の例えがあるが、一つの大きな象のような自然法を、小さな人間が様々な立場から様々な個性と様々な段階で見ているとすれば、それぞれの人間の見解に多様性が生ずるのは当然といえば当然である。
しかし、象の側から見れば、それが一つの大きな自然法であることは歴然とした事実であり、真理であるし、もしも人間達が自分達の見解の矛盾を統一できないが故に、一匹の象という存在そのものまで否定するようになれば、これは明らかに誤りであるといえよう。
このように、価値相対主義による自然法の否定は誤りであり、本来一なる価値に基づく一なる自然法の存在を心空しく受けとめ、これを探究してゆくことが大切である。
しかし、このことが、一つの狭い価値観を押しつけるようなことになっては決してならない。これもまた、本来の自然法を曲解し、その不完全なる一部を以って、全体を評することと同じだからである。
(つづく)