精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

『新時代の歴史家によせて』(1)   天川貴之

 

 歴史とは、神によって創られ、神によって育まれてゆくものである。確かに、一つ一つの事件をとってみれば、不合理なものもあり、不条理なものもあるかもしれないが、全体として、大きな流れとして人類史を眺めてみた時に、そこに、偉大なる意志、聖なる光を感じざるを得ないのである。

 それは、この地球に様々な公害があり、争いがあり、それ故に不浄なる世界に思えたとしても、一度地球から離れ、天空の彼方から眺めてみれば、それが、過去、現在、未来を貫いて、一つの大芸術に観えるようなものである。

 同じように、人類の歴史も、限りなく一つ一つの事件に対する執われを去り、全体者に限りなく近い心をもって達観してみた時に、そこに、神の一大芸術が創造されていることに気づくのである。

 古来より、歴史的な事件は叙事詩の形で表現されてきたが、ホメロスの「イリアス」や「オデュッセイア」に登場する人物の言動や、歴史的な事件の何と芸術的であり、壮大であり、また、数多くの智慧、数多くの教訓を含んでいることであろうか。

 これらの古代の歴史は、ホメロスという大詩人が描いたからこそ叙事詩になったのではなく、歴史そのものが、本来、叙事詩的に展開してゆくものなのである。本来、その内に芸術を内包しているものなのである。しかし、一連の事件の中に、一大叙事詩を見い出せないものにとっては、一見、無味乾燥なものに見えるだけなのである。

 大自然が神の創られたものであり、そこに神の心を読みとってゆけるのと同じように、我々は、歴史そのものの中にも、神の心を読みとってゆかなければならない。

 確かに、歴史上のありとしあらゆるものは、自由意志によって展開しているものではあるけれども、自由に意志を発露せんとするその意志の源である本性を創られたのもまた神なのであるから、人間達が自由に行い、一時的に愚行を行うようにみえても、全体の流れとしてみれば、神の心、神の与えられた本性どおりのストーリー展開を示しているのである。

 もしそうでなければ、神は、すべてを創られたように、すべてを無に帰しておしまいになられるのかもしれないが、それが連綿たる歴史として存在してきたこと自体が、それを善しとされている神の御意志をあらわしているものなのである。

 

 (つづく)