精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

「新時代のモラリストによせて」(5)

 

 この良心を探究してゆく道は、内奥において理念に到達し、その究極において、すべての理念を統一する神に到達する道である。

 かかる神と合一することがモラルの極致であるといえるが、これは、かつてプロティノスが、神秘的直感によってすべての理念を統一する「一者」と合一すると説かれたことと同じであるし、また、ヘーゲルが絶対知によって「絶対精神」と合一すると説かれたことと同じである。

 この絶対精神とは、一なる絶対者を、精神的側面から哲学的にとらえた概念であるが、これはかつて、道徳的に孔子が「天」ととらえられ、老子が「道」ととらえられたものと同じである。

 一なるものが、普遍なる一なるものである以上、究極においては一致するのである。

 かかる、古来より先哲達によって把握されてきた普遍的なる道を学び、思索することを通して、自己の良心をさらに深く広く掘り下げていっていただきたい。

 さすれば、究めてもなお究めきれず、汲めどもなお尽きない悦びが、ふつふつとふつふつとこみ上げてこられることであろう。

 孔子は、「論語」の至る所で道を修めることの悦びについて讃嘆しておられるが、人間として生まれた最高の幸福とは、人間としての道そのもの、人生の道そのものを究めてゆく悦びにこそあるといえるのである。

 これは、本来、義務というような、外から命令されて為すべき堅苦しいものではなく、もっと大いなる悦びに基づいて、自発的に為すべきものであるのである。

 徳とは、このような精進を通して自然に湧き出てくる所の、悦びに満ち満ちた高貴なる人格の香りのことをいうのである。

 徳ある人の周りには多くの人々が集まってくるのは、「桃季もの云わねども、下、自ずから蹊を成す」の喩えの通り、その妙なる悦びの故なのである。

 かかる妙なる香りと悦びをもつモラリスト達よ、大いなる徳の香りと道の悦びを忘れて久しい現代の人々に、どうか、太陽の慈悲の光のように、暖かい日ざしを与えてさしあげていただきたい。

 さすれば、春の日に、すべての自然界の生き物達が、すくすくと悦びに満ちて芽を育むように、人々の内に眠っていた善なる萌芽がその芽を伸ばし、すべての学問思想の内に、善なる花として開花し、社会のあらゆる分野に、善なる果実を実らせてゆくことになるであろう。

 そこから、最高に善き人間達による、最高に善き文化、最高に善き文明が興隆してゆく時代が始まってゆくのである。

 

 (おわり)