「新時代のモラリストによせて」(1)
理念には、真、善、美など多様なる側面があるといえるが、その中の善を探究し、実践してゆくことこそ、モラリストの使命である。
しかも、これは、モラリストという特定の人々の課題ではなく、善なる本性を持つ人間としての、万人の課題であるといえよう。
現代という時代は、道徳的価値が非常に軽視されている傾向がある。学歴社会に象徴されるように、非常に知性を重んじる時代であるが、その知性の中に、善や徳というものが見失われて久しいのである。
この知と徳というものを分離して学問社会が築かれてきた所に、現代文明、現代文化の脆さもあるといえるのである。
本来、優れた才能というものは、優れた徳に使われた時にこそ真にその価値を顕すのであり、いくら優れた才能を持っていても、それを悪の方向に使えば、かえって、その才能故に堕落することもあるのである。
それは、大局的に言えば、科学の問題についても言えることである。高度の物理学と、工学技術の発達によって創られた原子力エネルギーの如きは、「才」の極致の象徴である。
しかし、それを自由自在に使いこなすだけの人類共通の道徳精神が発達していなければ、取り返しがつかない程の悲劇を招くことにもなるのである。
現代においては、学問分野のみならず、実社会においても、科学と経済が非常に高度に発展してきているといえる。
しかし、いかなる方向に科学や経済学を発展させてゆけば、真に人類を幸福に導くことが出来るかという学問思想が根本的に欠如しているのである。
かかる思想潮流が現象化してきたものが、会社の営利追求に伴う環境破壊であったり、人倫破壊であったり、また、原子力爆弾による悲劇であったり、テクノロジー公害であったりするのである。
(つづく)