精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

「新時代のモラリストによせて」(2)

 

 そもそも、諸学の学である哲学には、真、善、美という三つの探究分野があるのであり、真とは、主に「法則・実在とは何か」の探究であり、善とは、主に「いかに生きるべきか」の探究であるといえよう。

 すべての学問は、根底にこれらの哲学的課題を有しているのであり、学問である以上、例外はない。このことは、たとえ現在話題にのぼらなくとも、常に、その前提問題として問われていることなのである。

 近現代に、主として社会科学の分野において「没価値性の理論」(マックス・ウェーバー)が説かれ、学問は何が善であるのかという価値判断を控えるべきとする風潮が一大潮流を作ってきたが、本来、善の探究とは、経済学においても、科学においても、その他の政治学経営学法律学においても、必要不可解な探究課題であるといえるのである。

 人体においても、必要な栄養素を摂取することなく、特定の栄養素ばかりを偏って摂取していれば身体に変調をきたすように、学問思想においても、かかる善の分野が欠けてくれば変調をきたし、それが必ず、実社会の変調として顕れてくるものなのである。

 その意味で、現象というものはすべての理念の影なのであるから、理念の基たる学問や思想を探究する者は、何よりも、すべての社会現象の悪に対して責任を持たなくてはならないのである。

 故に、これより、学問の方向性を探究する学問、すなわち、何を探究するべきかということそのものを探究する学問が求められているといえるのである。

 かくあるべき目的性を見失った学問思想とは、あたかも、港を見失って航海する船のようなものである。

 理念とは、真理、法則、実在であると同時に、善であり、徳の源なのである。

 かつて、ソクラテスの云われた、人間が「よく生きる」ための思想、人類が「よく生きる」ための学問を、すべての学者や思想家や言論人が相集い、協力しあって模索しなければならない時期に来ているのである。

 

 (つづく)