精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

「新時代のモラリストによせて」(4)

 

 では、自己のモラルの格率というものはいかに築いてゆけばよいのであろうか。

まずは、良心という自己の理性の道徳的側面に常に忠実であろうとすることである。良心とは、万人に親しい声であり、万人が本来有している声である。

 良心なき人間というもの、善なる本性なき人間というものは、この地上に一人たりとも存在しないのである。しかしながら、良心を曇らせている人間、良心に背いている人間は数多くおられるのである。

 自らの良心に忠実に生ききるということにも努力がいるのであり、確かに良心そのものは初めから万人に与えられているものであるけれども、良心を体現した人格というものは、努力に努力を重ねて獲得してゆくべきものなのである。

 かのマルクス・アウレリウスの「自省録」は、古きローマ帝国時代の、しかも、私達の日常からかけ離れた皇帝という立場にある方がつづられたものであるが、今なお、私達の胸を打ち、私達を普遍的な善へと導く感動を与えるのは何故であろうか。

 それは、時代を問わず、地域を問わず、宗教信条を問わず、良心の声とは、万人にとって普遍的に実在するものだからである。

 「天は人の上に人を創らず、人の下に人を創らず」というが、天は、すべての人間に平等に良心を与えられたのである。

 しかしながら、その良心の声の掘り下げ方、良心の声の体現の仕方においては、哲人と凡人では大きな隔たりが出来てしまう。

 これは、人間として一番大切な義務を常々果たしている人間と、そうでない人間との差であるといえるのである。

 一つの国家、一つの時代であっても、その時代、その国家のリーダー達が、常に、自らの良心に忠実に生きんと心がけられたのならば、この人の目には見えない陰徳を積まれたのならば、そして、良心の声に従って、自己に割りあてられた仕事を真心を込めてされたならば、どんなにかその時代が徳の光に輝き、その国家が善き調べと旋律を奏でることであろうか。

 

(つづく)