精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

「新時代の発明家によせて」(2)

 

 大宇宙は、太初劫初なる昔は無であった。しかし、それは、有と相対される所の無ではなく、すべての有の可能性を秘め、ただそれを顕現させずに潜在化させている所の、「絶対なる無」であったのである。

 このような「絶対なる無」の中から、大いなる神は、この大宇宙に、無限の無数の星を創られた。

 例えば、この太陽系だけをとってみても、どれ一つとして同じ星はなく、それぞれが独自の性質と光を有しているように、神は決して、同じものが大量にあることのみを願われたのではなく、一つ一つの星を独自に発明されていったのであることが分かる。

 そして、その個性の可能性は、億という単位でも、兆という単位でも数えることが出来ない。少なくとも、星という単位をとってみただけでも、「絶対なる無」の中にはこれだけの無限の可能性があったのである。

 また、地球という星にある彩りあざやかな大自然の姿をみてみると、何と数多くの創造物が存在していることか。

 海があり、川があり、山があり、森があり、大地があり、空があり、雲があり、雨があり、季節がある。動物をみても、ライオンがあり、シマウマがあり、キリンがあり、トラがあり、コアラもある。植物をみても、桜があり、梅があり、松があり、杉があり、竹があり、もみじがある。

 このように、無限の種類の動植物や自然を、神は発明されたのである。

 それらを神が発明されたといえる理由は、万物の霊長たる人類の智慧をもってしても、未だに創造しえないものばかりであるという点にある。

 これらの多様なる存在は、非常に有機的に、合目的的に創られているのであって、決して偶然には存在しえないものばかりなのである。

 これらはすべて、神の発明によって理念が創られ、神の意志に基づいてあるべくしてあるのであって、これら神の無限の発明の才をみてゆくと、自ずから、神の子として、創造の自由、発明の自由を与えられた人間の為すべきこと、目指すべき理想も明らかになってくる。

 

(つづく)