「新時代の発明家によせて」(1)
地上にある人類の文明、文化は、すべて、人間の発明を通して創られてきたのである。発明をなす才こそ、人間の自由を最高に発揮させるものであり、その意味で、人間の尊厳を裏づけるものであるといえよう。
人間以外の動物は、文化、文明を持たないが、これがどういう理由に拠るかというと、与えられたものを受動的に受け継ぐのみで、主体的な創造行為を為さないためである。
この主体的なる創造をする力が与えられているということこそ人間の独自性の源であり、このような主体的なる創造を行いうるという自由こそが、人間のみに与えられた最高の幸せなのである。
発明とはまさしく、主体的に創造してゆくということであるから、人間にとって、最も高い価値を有する仕事であるといえる。
しかし、この大いなる福音である発明の才能も、大抵の人々が充分に開花させないままに人生を終えてしまうことが多い。それは何故かというと、常日頃から工夫をしてゆく精神、イノベーションをしてゆく精神を持っていないからなのである。
かつて、アメリカの経済学者シュンペーターは、資本主義社会の発展の鍵として、技術革新(イノベーション)ということを掲げられたが、まさしく、個人の人生を発展させてゆく鍵もイノベーションにあるし、企業を発展させてゆく鍵もイノベーションにあるし、社会を、国家を発展させてゆく鍵もこのイノベーションにあるのである。
ミクロな所からマクロな所まで、我々は無限のイノベーションを為すことが出来るのである。決して旧いものに固執することなく、日々新生し、独自に新たなものを創りつづけてゆくことこそ、豊かな人生を生きる秘訣なのである。
我々の心の内には、あの希望の泉の如く、無限のアイデアが、世界への愛として、人々への愛として顕現するのを待っているのである。
(つづく)