「新時代の宗教家によせて」(2) 天川貴之
無限なる自己に目覚める時、彼にとって、すべての人間も、すべての自然も、すべての世界も、無限の可能性を持ったものとなる。
そして、すべてのものが、実は神そのものに近いということ、すなわち、神の一部としての自己が、神の世界の中で、無限の変転をくりひろげながら生かされているのだということが自覚出来るのである。
神は無限である。しかし、現在の自分は、本来、無限でありながら、限定された有限の自分であることも事実である。
だから、神というものについて、「無限」という言葉以上の究極の定義をしようがないのである。
すべてのものの奥にある無限なる神は、自己の精神の生長に従って、自分自身の前に姿を現す。
たとえ、形の上では同じく分類される信仰形態をもっていたとしても、彼が真に出会うことの出来る神は、やはり、その時点における彼の精神の別名であることは事実である。
だから、外なる神を求める道は、結局のところ、内なる神を求める道と同じである。
しかし、神は神として、永遠に普遍に存在する一つの精神であり、一つの法則である。ただ、これを映す各人の精神の鏡によって、幾様にも多なる存在として分かれるのである。
(つづく)
by 天川貴之