精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

「新時代の宗教家によせて」(3)  天川貴之

 

 各人の精神の鏡に個性があるということは、古来よりの偉大な宗教家にとっても、また真である。

 原則として、一なる神を映さんとした一人一人の宗教家は、それぞれの心に映った像に応じて、それぞれの神の御姿を述べておられるのである。

 例えば、かのイエス・キリストは、「神は愛なり」と言われたが、それは、イエス・キリストの内なる愛の鏡が、一なる神の愛の姿、愛の法則を映し出されたのである。

 また、他の宗教家の方々が、例えば、「神は正義なり」と言われれば、それは、一なる神の正義の姿を映し出されたのであり、「神は叡智なり」と言われれば、それは、一なる神の叡智の姿を映し出されたのであり、それらのすべての神の御姿は、究極において、一つであるのである。

 それは、あの太陽が一つであっても、それを見る人間によって幾様にも見えるように、精神界の太陽である神の御姿も、それを見る宗教家の精神によって、幾様にも見えるだけなのである。

 もちろん、それでもなお、数多くの宗教家が存在したのにもかかわらず、一握りの聖者のみが久遠に尊敬されるのは、神そのものを、無限に高く、無限に直接的に、把握しえたからである。

 かのイエス・キリストが神のごとく尊敬されるのも、イエス・キリストの内なる神が、神そのものを無限に神そのものとして認識されたからである。

 普通の多くの人々は、かかる特定の聖者が、その心をもって映し出した神の姿を通して、神を知るようになる。その意味で、例えば、イエス・キリストを通して、神を信仰するのである。

 

(つづく)

 

 

by 天川貴之