「新時代の画家によせて」(2) 天川貴之
個展などに行ってみて感ずることは、そこに、その人による個性的なる世界が創造されているということであり、その画家が本当の意味で住んでおられる精神世界とは、かかる絵の世界であるということであり、また、すべての画家は、誰一人、同じ世界には住んでおられないということである。
このように、我々は、三次元的には同じように見える世界に住んでいながらも、それを精神的なる要素の入った絵に直してよくよく観察してみると、実は、一人一人が異なったものを観、異なった感じ方をしている世界に居るということが分かるのである。
これは、かつて、「コペルニクス的転換」と自らの哲学を称したカント哲学の認識論を、さらに推し進めて考察してみるとよく分かる。
例えば、前述した富士の例でいえば、富士それ自体は誰も認識することは出来ないのであり、富士というものを、自己の五官を通して主観的に表象したもののみを認識することが出来るにすぎないとカントは説明するのであるが、これは、この三次元世界のみならず、三次元世界を超えた精神世界についてもあてはまる真理なのである。
三次元世界においても、すべての人が同じ富士を認識しているようにみえて、実は、視力の違いによっても認識しているものは異なるし、また、色盲や乱視などの視覚障害のあられる方は、それぞれ別の富士を見ておられるのである。
さらには、人間は、三次元的存在であると同時に、精神的存在でもあるので、例えば、富士ならば富士というものを三次元的にのみ認識するのではなくて、それを、精神的にも認識し、意味づけ、価値づけを行っているのである。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)