「新時代の画家によせて」(1) 天川貴之
絵画とは、それを描く画家の心の風景であり、心の映像なのである。
ある画家の描かれた絵をよくよくみてみると、たとえそれが何ものかを模写しているものであったとしても、全く同じものはどこにもないことに気づく。
すなわち、それは、絵を描いた人の心の内にのみ存在するものを表現しているということなのである。
例えば、富士山を題材にした絵を、北斎と、ゴッホと、ピカソが同時に描いたとしても、描かれた富士は、北斎のものは北斎富士であり、ゴッホのものはゴッホ富士であり、ピカソのものはピカソ富士にならざるを得ないであろう。
そして、北斎の一連の絵を通してみると、明らかに、北斎というトータルな個性の一部に、その北斎富士は収まってしまうことに気づくのである。
すなわち、北斎は、たとえどんなに数多くのものを絵に描いても、その色調、その個性はすべて同じであって、それらはすべて北斎の心の世界に存在するものであり、北斎の心の世界の一構成要素なのである。
これは、ゴッホにしても同じであり、ゴッホがどんなに数多くの絵を描いたとしても、ゴッホはゴッホ的なる絵以外は決して描けないのであり、ゴッホの描いたものはすべて、ゴッホの心の世界より地上界に流れ出してきたものばかりなのである。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)