精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

『新時代の学生によせて』(6)  天川貴之

 

 そして、同時に、自己独自の見方、人生観、世界観というものも育んでゆかなくてはならない。それは、自己の本源的なる個性の理念、個性の真理へと目覚めてゆく旅である。

 自己の主体性を放棄するということは、自己に本来与えられた天命である個性や、自由や、理性、良心を放棄することと同じである。

  かつて、エマソンは、学者にとって大切な義務は、自分自身の内なる精神に忠実であることであって、外なる知識に支配されず、自己の精神を自ら支配し、自己の思想、自己の考え方を自分自身の言葉で表現してゆく自己信頼の精神態度であると力説されているが、これは、学生というものが、通常、受け身的に学ぶものであるが故に、同時に、必ず身につけておかなければならない能動的主体的姿勢なのである。

  学びの本質とは、結局の所、内なる個性的理念の結晶を育んでゆき、開花させることにあるのであり、これこそが、自己が生まれてより、大宇宙の理法が自己に託している使命であるといえるのである。

  さらには、自己独自の思想を常に一つの命題として、積極的にそれと対立する思想を、あらゆる古典的思潮の中から見つけ出し、それを比較し、さらに、弁証法的に止揚させてゆく形で、自己の思想を発展させてゆくことに心がけられるのならば、そこに、多様なる個性の存在意義、かかる個性を学んでゆくことの意義を、より一層見い出すことが出来ると思う。

 自己の独自性をその都度明確にしてゆくことが、結局の所、他なる個性を明確に知る契機となり、さらには、自己の思想をさらに発展させてゆく契機となるのである。

  このように、自己の思想を育んでゆくためには、常に、学んでは内省し、精神の内部において、深く深く思索してゆく習慣をつけてゆかなくてはならない。

 かつて、哲学者のロックは、「自己によって思索されたものだけが、真に自己のものになる。」といわれたが、深い思索によって、外なる知識を、自己の智慧、自己の精神自身に変えてゆくことが出来るのである。

 こうした内省的、瞑想的時間を積極的にとってゆくことも、真なる智慧に目覚めるための王道なのである。

 

(つづく)