『新時代の学生によせて』(1) 天川貴之
かつて、パスカルは、「人間は考える葦である」と、その特徴と本質を定義されたが、人間の人間たる所以は、智慧にあるといっても過言ではない。
従って、良き智慧をもてば良き人間となり、悪しき智慧をもてば悪しき人間となるともいえるのである。
現代は非常なる知性の時代であるが、本来の智慧の本質というものが見失われて久しい。
何が、真実、意味のある智慧であり、何が真に人間を向上させ、人類を向上させる智慧であるといえるのかということを数多くの人々が見失い、自分自身の本質さえ理解することなく、ただの現象的なる知識の洪水の中で、おぼれかかっているが如きである。
新時代を創らんとする学生達よ。あなた方は、今、大いなる学びの航海に船出している冒険者のようなものである。
この知識の大海の中では、しっかりと自らの内なる真実の智慧の燈台を発見し、その指し示す光の方向を見極めておかなくてはならない。真実の方向を、真実なる智慧の世界をこそ、目差してゆかなくてはならない。
真実なる智慧とは、「理念」についての智慧をいうのであり、「理念」についての智慧を学ぶことこそ学問の本質であり、学生の使命であるといえるのである。
良き種をまかずして、良き花が咲き、良き実が実ることはないように、学生時代において、あなた方の精神の内に、本物の理念の智慧の種子をまくのと、偽物の知識の種をまくだけのとでは、自ずから、人生に咲かせる花や果実が、大きく大きく変わってしまうのである。
(つづく)