『新時代の学生によせて』(2) 天川貴之
現代程、無常なる文化のあだ華が絢爛に咲き誇っている時代は、人類史の中でも希有なことである。人々が、これこそ文化であり、文明であると思っている思想や知識の中に、永遠なる香りを漂わしているものはごくまれになっている。
学生時代においては、社会に未だ出ていないが故の未熟さや狭さもあるといえるが、同時に、曇りなく純粋なる智慧の眼もまた開いていることが多い。
この最も純粋なる時代に、永遠なるものを永遠なるものとして見出すことをしないで、一体いつ、永遠なるものへの憧憬を感じ始めるというのか。
無常なるものの中にも、確かに一時的なる享楽を提供してくれるものもある。しかし、そのようなものに、決して精神の眼を幻惑されてしまってはならない。
無常なる享楽を、無常なる享楽でしかないと看破してこそ、永遠なる幸福への第一歩を踏み出してゆくことが出来るのである。
無常なるものに精神を染めすぎると、精神自体が無常なる響きを放つようになる。それは、虚しき人格的雰囲気、浅薄な人生の雰囲気となって現われる。
ところが、永遠なるものに親しんでいると、精神はどこまでも無限へと飛翔し、限りなく充実した奥深い幸福の雰囲気を奏でるようになるのである。
(つづく)