『新時代の歴史家によせて』(3) 天川貴之
歴史は、その存在そのものによって我々に自己反省を促すものでもある。また、歴史は、時間と空間という自己限定を外すことで、我々を、無限なる世界へと飛翔させてくださるものである。
我々が、三次元の世界に存在しながら、同時に三次元を超えた意識を持っているということは、我々が、意識を過去にふり向け、また未来にふり向けられるということが証している。
真に意識のない存在は、過去を知ることも、未来を知ることもなく、ただ現在の連続の中にのみ生きているはずであるが、現在の中に生きながら無常を感じたりすること自体が、我々が、我々の時空を超えた意識を自己認識しているからに他ならない。
意識のない存在にとっては常に現在しかないのであるから、無常なるものを無常なるものとさえ認識出来ないのである。
故に、歴史を通して、意識の枠を広げることは、人間にとって、最も本質的なる行為であるといえるのであり、我々が過去に精神を遊ばせる時、我々の精神は、既に過去の住人として、過去の事件、過去の人物と同じ時空に存在しているといえるのである。
(つづく)