『新時代の医学者によせて』(1) 天川貴之
病というものの実際の姿は、我々の迷いの信念の影である。故に、迷いの信念が消え、光明の信念に満たされた時、病は消え、そこに、本来の健全なる人間の姿が現出するのである。
このような信念というものは、一日にして創られるものではないのであり、インドの古代哲学に、思いと言葉と行いの集積が業となるという思想があるけれども、我々の日頃の言葉、思念、思想、信条、行動、このようなものが積み重なって一定の業が形成され、業によって、病もまた、現象化しているのである。
故に、病をなくし、健全なる姿を顕じようとするならば、その薬は、健康の言葉、健康の想念、健康の思想、健康の信条、健康の行動なのである。
その反対に、病をつくる病原菌は、本当は病んだ言葉、病んだ想念等なのである。その中でも、念いの力は特に重要である。
では、病んだ念いにはどんなものがあるのか、いくつか実例を挙げてみる。
第一に、病気になるのではないかという心配の念い、恐怖の念い、悲観的な念いである。常々、未来の病気について念い描いていれば、その念いこそが、病原菌を招き、病の原因となる生活態度を招くようになるのである。
確かに、心配をすることによって、病にならないような予防ができるということを考える方もおられるかもしれないが、心の法則からすると、心配の念はかえって逆効果になるのであって、真に健康になるためには、「ますます健康になるのである」という希望の念いをこそ、把持しなければならないのである。
そうすれば、希望の念いと相通ずる、希望を実現するための健康のアイデアや健康の摂理が心の内から湧いてきて、自然に健康に必要な食べ物や運動が分かって、健康になるための予防をしてゆくものなのである。
(つづく)