「新時代のマルチメディアクリエイターによせて」(1) 天川貴之
マルチメディア時代には、近代以降、様々に専門化されて各々のセクトを細かく区分していた社会が、再び、統合的一体感を回復してゆくことになる。
多なるものを結びつけ、一体化してゆく働きを「愛」というならば、これは、まさしく大いなる愛が社会に実現してゆく時代であるともいえよう。
しかし、すべての情報が、より一層共有される時代であるからこそ、何よりも重要なテーマになってくるのが、情報の質そのものなのである。
情報ハイウェイ構想が現実のものとなり、すべての図書館や、病院や、大学や、会社や、個人が一つに結ばれ、双方向のコミュニケーションが可能になった時、確かに、そこに流れる情報の質が高度なものであったならば、その影響を受けて、非常に崇高な気品溢れる社会が出現するのであろうが、逆に、非常に悪質な情報ばかりが飛び交えば、加速度的に社会全体が堕落してゆくことにもなるであろう。
結局の所、マルチメディアというものも一種の手段であって、目的そのものではない。マルチメディア社会を大いに生かしてゆくためには、科学技術の発展に見合うだけの人間性の発展が何よりも必要になってくるのである。
マルチメディア社会と対極的な生き方とは、古代中国の老子的生き方であろう。
しかし、科学文明の歴史が始まって以来、老子の云われるように、無為自然の内に、科学的進歩など望まず、徒らに知識を積んでゆくことも望まず、隣国のことも全く気にせずに、自国のことのみに満足して暮らす方が、人間にとって真なる幸福の道であるのかどうかについては、根源的な決着はついていないのではないかとも思われる。
(つづく)