「新時代の志士によせて」(4) 天川貴之
そのための理念的志士道精神について、その新しき精神理念をいくつか述べてゆきたい。それは、過去の大和の武士道精神に汲みとりながらも、その中にあるいくつかの理念を改善し、理念的に昇華せんとしたものである。
まず初めに、理念的自己を肯定する精神が必要である。先程、「武士道とは死ぬ事と見つけたり。」という思想の良き面のみをとりあげたが、反面、この精神の中には、過度に自己犠牲的な、ともすれば自虐的にもなる美学が流れているとも言えよう。
かかる理念が、武士社会の切腹となって顕れたり、明治維新の頃に数多くの若者の早死を促したり、日本敗戦時の玉砕精神となって顕れたり、数多くの悲劇的現象を招いている。
故に、この死の解釈を、さらに、理念的な肯定的なものへと昇華してゆく必要性があるであろう。この「死」とは、「理念の生命への新生」という理念に置き替えればよいであろう。
肉体的欲望に基づく自我我欲から解脱して、自己の内なる真実の生命、理念の生命に目覚め、大いなる理念のために、自己の生命を完全燃焼させてゆくことを目差すべきなのである。
すなわち、「理念的志士道精神とは、理念の生命に新生することと見つけたり」となる。
これこそが新時代に向けての志士の「よく生きる」ということであり、それは、理念の志、理念の信念、理念の言魂、理念の智慧を体現して生きるということなのである。
(つづく)
By 天川貴之