精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

「新時代の志士によせて」(7)   天川貴之

 

 さらに、理念的志士道精神にとって、大切な眼目は、圧倒的なる仁の心と平静なる心である。

 ともすれば、古来より武士道の伝統は、武にはやるあまり、修羅の如く怒りの心に染まりやすい傾向があったといえるが、これは、武士道そのものの中に隙をつくっているともいえるものである。

 新時代の志士は、たとえ、表面的に現象的なる悪として現れた相手を、公の正義の観点から悪として戦わなければならないことがあったとしても、かかる時でさえ、相手の根底にある不動の理念に対しては、心の奥の奥よりの圧倒的なる仁の心、礼と敬いの心を持っていなければならない。

 その根底に圧倒的な仁の心があるのとないのとでは、たとえ表面的には同じことをやっていても、その徳性において、天と地程の大きな隔たりが出てくるものである。

 天は圧倒的なる仁であられるから、根底よりの怒りの心は天との隔たりをつくってしまうが、何事を処すにしても、根底に絶対的なる仁をもって相対すれば、天と一体となって、究極的な勝利を収めることが出来るのである。

 また、圧倒的なる仁の心があれば、あらゆる私的な噴りから自由になることが出来るので、その心は、常に平静で落ち着き、深さと重厚さを備えるようになる。

 この仁の心は、さらに、身内の者や周囲の方々への限りない優しさとなっても顕れる。彼は、公の正義のために勇ましく生きていたとしても、常に私心を戒め、人々への真心よりの愛を旨としておられるからである。

 また、真に仁の心を身につけられた方は、ともすれば、古来の武士にありがちな、過度に自己の名誉を重じる傾向も少なくなってこられるであろう。

 それは、真なる仁の心が、自己を超越した大愛へと導くからである。まだまだ自分の名誉や、功名心や、ヒロイズムに酔っている内は、心の奥なる理念的志士道精神が確立していない証なのである。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

by 天川貴之