「新時代の芸術家によせて」(7) 天川貴之
このように、大自然はある時は真理の書として、またある時は美学の書として、我々の前に、奥深い精神に裏づけられた芸術を、無限に、また、無償で展開して下さっているのである。
しかし、大自然がいくら我々の前に崇高なる芸術を展開して下さっていたとしても、我々が大自然の心と同通する心を持たなければ、その芸術を芸術として観ずることは出来ない。
心の内なる自然が外なる自然を知るのであって、自らの心の内に芸術的なる理念の眼を育んでこそ、大自然は、我々の前に無限の理念の芸術を展開して下さるのである。
それは、小さく見れば小さく響き、深く見れば深く響き、高く見れば見る程に高く響く、こだまのような存在である。
例えば、心の内に愛の眼を持ってみれば、大自然のありとしあらゆる営みが、いかに細やかでありながら、圧倒的に大きく、また持続的でありながら、時、所、物に応じて様々に変化する天衣無縫の愛で彩られているかがわかるし、心の内に智慧の眼を持ってみれば、大自然の全てがいかに無尽蔵の智慧によって創造され、動かされているかということがわかる。
(つづく)
by 天川貴之