『新時代の学者によせて』(1) 天川貴之
人間にとって学ぶということは、生まれ落ちてより死ぬまでの終りのない仕事である。
人間は生まれながらにして自由であるという言葉もあるが、人間は生まれながらにして学ぶものであるという定義をしてよいだろう。
人間の本質に「学ぶ」という本性がある以上、多かれ少なかれ、すべての人が学者であり、学問をしつつ生きているのだ。
では、学ぶ者とはいかにあるべきだろうか。まず、そこに、常に赤子の如き純粋なる関心が要るといってよいであろう。
人間は、まず、地上に生まれ落ちてから、人間と自然を学ぶ。両者に共通していることは何か。それは、共に生命であるということである。生命が生命より学んでゆくのである。
本当に学ぶためには、相手との一体感が必要である。対象を自己の内に取り込んでゆくということが学びの本質であり、外界のものを内界に取り込むことにより、自分自身の精神を成長させようとしているのだ。
その意味で、私達の前に立ち現れているものは、すべてが自己の精神の糧であるといえる。
学ぶとは、外界にある精神的な食物を食べて、消化吸収して、自らの精神的血肉にしてゆくということであるのだ。
(つづく)