「新時代の志士によせて」(1) 天川貴之
新時代の理念ありといえども、それを実際に行動に移し、実現してゆかんとする理念の志士がいなければ、決して「理念の革命」が成就することはないのである。
日本古来の伝統に三種の神器を尊ぶ伝統があるが、この中には非常にバランスのとれた理念があると言えるのである。
すなわち、いくら、理念の「鏡」や理念の「勾玉」にあたる神器があったとしても、理念の「剣」にあたるものがなければ、真に「理念の革命」を成就することは出来ないということである。
では、この理念の剣にあたるものとは、一体、何であろうか。これが、古来においては、大和の武士道精神なのであり、新時代に向けては、新たに復興されるべき理念の志士道精神なのである。
もちろん、現代的には、「士」とは、武力を持つものではなく、大和男児としての気概、勇気、熱情、信念、礼節、至誠、公の心、忠孝の心などの精神を体現した者のことを云うのである。
かかる心情を、新たに再興してゆかなくては、新たな時代を切り拓いてゆくに足るエネルギーは出てこないのである。
いくら理念思想が、思想としてあったとしても、それを実現せんとする圧倒的なる熱意がなければ、陶器が熱を入れられないで終わるように、理念思想も、地上世界にとって、完成した形をとらないのである。
これは、決して戦前の封建的精神への逆行のすすめではなく、未来に向けての新しい理念の志士道の確立と、理念社会建設へのエールなのである。
(つづく)
By 天川貴之