精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

「新時代の志士によせて」(3)   天川貴之

現代という思想環境は、吉田松陰の如き大志と、至誠と、熱情を有した二十代の若者や、彼に共鳴して明治維新を断行した若者達を生み出し、育てるだけのものがあるであろうか。 決して自己の精神の不甲斐なさを外なる環境の責任に帰するべきではないが、最も純…

 「新時代の志士によせて」(2)   天川貴之

現代社会においては、非常に個人主義が堕落している傾向があり、個人主義の悪い面がかなり露呈してきているといえる。 本来、一人一人の主体性の確立と己の個性に見合った幸福を追求してゆくことは非常に尊いことであるが、あまりにも己の自我我欲に生きて、…

「新時代の志士によせて」(1)   天川貴之

新時代の理念ありといえども、それを実際に行動に移し、実現してゆかんとする理念の志士がいなければ、決して「理念の革命」が成就することはないのである。 日本古来の伝統に三種の神器を尊ぶ伝統があるが、この中には非常にバランスのとれた理念があると言…

「新時代の教育者によせて」(6)   天川貴之

では、いかなる若者が未来の天才であるのかを、どうやって見抜き、発掘すればよいのかと、たずねる方もおられるかもしれないが、先程も述べたとおり、天才的教育家のみが、新時代の天才を見抜き、育てうるのであり、かかる人物のもとにのみ、数多くの天才の…

「新時代の教育者によせて」(5)   天川貴之

この新時代の精神と一体とならんとする念いを、理念の志という。 かかる精神に基づく教育は、理念の志ある教育であり、この理念の志こそが、魂の教育の生命であり、本当は、この理念の志なき教育は、死したる教育といっても過言ではないのである。 理念の志…

 「新時代の教育者によせて」(4)  天川貴之

このように、一つの新時代の精神、新時代の理念は、同時代に、多少の年齢と多少の地域を離れて生きる数多くの天才達の心の内に分有され、それぞれの個性に分かれて内在されているのである。 その一つが真に目覚めてゆく時に、その個性ある生命の躍動は、確実…

「新時代の教育者によせて」(3)  天川貴之

教育を通して、時代精神の実現のために生ききるとは、目にみえない程の根源的な感化を、天才の心の内奥に与えた時に初めて出来ることであり、かかる天才を育てた教育家も、また天才であって初めてなしえる業なのである。 故に、一人の天才的教育家の出現は、…

「新時代の教育者によせて」(2)  天川貴之

青年は、いつの時代においても魂の師を求める。そして、魂の師の精神的後ろ姿をみて、生長してゆくものなのである。 精神的感化は、深く、永い影響力を、一人一人の魂の内にもつことになる。 知識を教えることは、一見、早い実りを教え子に与えることが出来…

「新時代の教育者によせて」(1)  天川貴之

新しき時代精神となる若者達を、その全人格的感化をもって育て導くことこそ、教育者の使命である。 古き時代が終わり、新しき時代が始まる時、新しい文明の種子を宿した若者が、時代の狭間の風をうけて育たんとする時、誰よりも早く、高く、正確に、新時代の…

「新時代の政治家によせて」(4)  天川貴之

かつてホッブズは、悪しき人間像に基づき、「リヴァイアサン」としての国家を描いたが、人間は悪しき迷いの姿を仮に現すことがあったとしても、新生し、その本性を顕した時に、善なるものとなり、聖なるものとなり、尊きものとなるので、かかる国民の団結せ…

「新時代の政治家によせて」(3)  天川貴之

精神の病は、本当は肉体の病よりも重いし、根源的である。かかる国家精神が病に瀕している時、国家の生命を救い、国家を新生させるものは果して何であろうか。 かかる時に必要なのが、崇高なる理念の志を持つ哲人政治家であり、剛き理念の信念を持つ哲人指導…

「新時代の政治家によせて」(2)  天川貴之

現象はすべて精神の影であるから、現象的な政策によって、小手先で国家を変えようと思っていくら努力した所で徒労に終わることであろう。一つの現象が改善されたとしても、また別の悪しき現象が出てくるにちがいない。 現象を真に改善しようと思ったら、現象…

「新時代の政治家によせて」(1)  天川貴之

国家を導き、国家の精神に生命を与えるのが、政治家の使命である。国家という生命体を、光の方へ、人類の理想、天の理想の方向へと導いてゆくことが、政治家の理想である。 政治システムにおいては、様々な考えの相違はあるであろうが、国政において指導的な…

「新時代の宗教家によせて」(5)  天川貴之

新しい文明の大転換にあって、その口火を切り、新しい文明をその根底において支えるものは、やはり、広い意味での宗教であり、神の力である。 文明の大樹は、神の御力によって養われるものであり、神の御力なくば、かかる人類の大樹は枯れてしまうしかないの…

「新時代の宗教家によせて」(4)  天川貴之

この宗教の本質は、イスラム教においても、仏教においても、ギリシャ哲学においても、儒教や日本神道においても、そう変わらない。 多くの人々が、特定の聖者の心を通して、神の姿を知り、神の心を知り、神の法を知り、神と共にあり、神と一つに結ばれて生き…

「新時代の宗教家によせて」(3)  天川貴之

各人の精神の鏡に個性があるということは、古来よりの偉大な宗教家にとっても、また真である。 原則として、一なる神を映さんとした一人一人の宗教家は、それぞれの心に映った像に応じて、それぞれの神の御姿を述べておられるのである。 例えば、かのイエス…

「新時代の宗教家によせて」(2)  天川貴之

無限なる自己に目覚める時、彼にとって、すべての人間も、すべての自然も、すべての世界も、無限の可能性を持ったものとなる。 そして、すべてのものが、実は神そのものに近いということ、すなわち、神の一部としての自己が、神の世界の中で、無限の変転をく…

「新時代の宗教家によせて」(1)  天川貴之

神を信ずること、すなわち、信仰心こそが宗教の核心である。信ずる心なくして宗教は成り立たない。 しかし、信仰といっても、その形態や、その対象には様々なものがある。 現代においても、また、人類史を貫く永い歴史の中にも、その時代その地域における様…

「新時代のマルチメディアクリエイターによせて」(5)  天川貴之

かかる理念人類が数多く登場してくるようになると、おそらくは、大会社の組織よりは、アメーバ型のベンチャー組織の方が主流を占めるようになってくるであろう。 何故なら、理念的ソフトの開発については、かなり個人の力量が占める割合が大きくなってくるか…

「新時代のマルチメディアクリエイターによせて」(4)  天川貴之

社会は、現代に到るまで、農業社会、工業社会と進み、トフラーなどの言われる情報化社会を通過した今、マルチメディア社会に向けて、真なる創造的社会に向かっていると云われている。 この創造的社会とは、天才の大活躍する時代であると思われる。単純労働的…

「新時代のマルチメディアクリエイターによせて」(3)  天川貴之

それはすなわち、マルチメディア社会においていかに人間性を向上させてゆくソフトを開発してゆくかということに創意工夫をしてゆかなければならないということでもあろう。 人間性を向上させるソフトのアイデアとは、それは、人間の精神の奥の奥なる叡智の世…

「新時代のマルチメディアクリエイターによせて」(2)  天川貴之

我々は、一体何のために数多くのことをマルチメディアを通して知ろうとしているのであろうか。我々は、何のために数多くのことをマルチメディアを通して多くの人々に伝えようとしているのであろうか。 かかる根源的なる問いには、科学技術そのものは応えては…

「新時代のマルチメディアクリエイターによせて」(1)  天川貴之

マルチメディア時代には、近代以降、様々に専門化されて各々のセクトを細かく区分していた社会が、再び、統合的一体感を回復してゆくことになる。 多なるものを結びつけ、一体化してゆく働きを「愛」というならば、これは、まさしく大いなる愛が社会に実現し…

「新時代の発明家によせて」(5)  天川貴之

人類はいつの時代においても、新たなる独自のものを発明し、創造してきたのである。 ならば、新しき時代の夢を実現させんとする時、ただ単に過去の発明を受け身の形で継承し、その恩恵に浴しているのみではいけない。 遅れてくる時代の人々のためにも、新し…

「新時代の発明家によせて」(4)

では、無限へと挑戦してゆく発明家にとって、どうしても必要な精神態度とはいかなるものであろうか。 それは徹底的な積極性である。かの発明王エジソンの驚異的な仕事を支えたのも、彼の才能そのものに加えて、その精神態度に拠る所が大きいのである。 彼は…

「新時代の発明家によせて」(3)

すべてのすべてを創られた神と同じ性質を人間が内在しているということは、本来、我々にも、この大宇宙、大自然の可能性と同じだけの可能性が、絶対なる無として、心の内に与えられているということを意味するのである。それは、単なる無ではなく、すべてを…

「新時代の発明家によせて」(2)

大宇宙は、太初劫初なる昔は無であった。しかし、それは、有と相対される所の無ではなく、すべての有の可能性を秘め、ただそれを顕現させずに潜在化させている所の、「絶対なる無」であったのである。 このような「絶対なる無」の中から、大いなる神は、この…

 「新時代の発明家によせて」(1)

地上にある人類の文明、文化は、すべて、人間の発明を通して創られてきたのである。発明をなす才こそ、人間の自由を最高に発揮させるものであり、その意味で、人間の尊厳を裏づけるものであるといえよう。 人間以外の動物は、文化、文明を持たないが、これが…

「新時代の経営者によせて」(7)

さらに、あなたが真に理念の眼を開いてこられたならば、時代のニーズ、人々の内なるニーズが、自然に観えてこられるはずである。何故なら、すべての人々は、理念において、一つにつながっているからである。 人々のニーズといっても、現代の数多くの経営者の…

「新時代の経営者によせて」(6)

経営者とは、「人を使う」立場にあるものであるが、真実に人を使うということは、真実に人を生かすということである。 そして、真実に人を生かすということは、その人の内なる理念を最高度に光輝かせるということなのである。これは、適材適所という言葉の奥…